2023/06/22
【広報メディアマネージャー Yuki】はじめまして!私の自己紹介をさせてください。
はじめまして!
ワーホリキャリア.comの広報メディアマネージャーのYukiと申します。
光栄なことに、これからは私もこちらのコラムに度々お邪魔してブログを書かせて頂けるということです。
みなさんには以後お見知り置きをいただきたく、本日はベタではありますが、自己紹介を致します!
現在34歳の私ですが、
この人生を以下の5つのフェーズに分けてお話ししようと思います。
1. ワーホリで「うつ病」克服
2. 英会話講師になる
3. カナダの4年生大学に入学
4. 外資系IT企業社長秘書通訳
5. 同時通訳と広報メディアマネージャー
本日は最後までお読みいただければ嬉しい限りです!
1.ワーホリで「うつ病」克服
カナダのワーキングホリデーに飛び出し、再出発をしたのが24歳でした。
20歳で最愛の父を亡くし「うつ病」が発症。
引きこもったり、当時勤務していた学校事務のお仕事に行かれなかったりすることが多くなり、心療内科で抗うつ剤を処方してもらいました。
ある日、いつものように学校事務のデスクに腰をかけ、ルーチンワークを始めようとしたのですが、
「そうだ。もう日本に居るのは辞めよう」
と思い立ったのです。
「やりたくないことを、やるべきではない」という考え方は、当時の鬱々とした私にとって、魚類が陸上に上がってくるかのような革新的なことでした。
レンガで思いきり頭を打たれたかのような私はその日から仕事をするふりをして狂ったようにカナダを調べ上げ、1年で150万を貯金しました。
計画を温める当時の私は恐ろしく生き生きしていたことでしょう。
そして、2013年12月の寒空の下。
日本を飛び立ちました。
この日から私と英語の二人三脚が始まったのです。
ワーホリで「うつ病」を克服し、私の24歳の再出発はこうして始まりました。
2.英会話講師になる
帰国後、英会話講師として勤務し始めたのが2017年の1月でした。
父の他界で「大学中退」、
社会人経験は「学校事務の受付」、
そしてカナダ「ワーホリ」。
私の履歴書はかなり不細工でしたが、「うつ病」の面影はすっかり消え、日本帰国後に一回りも二回りも大きくなっていた私は多数の英会話スクールに邪険にされても、打たれ強く面接に赴き、結果、某大手英会話スクールの講師として勤務を開始することになったのです。
念願の「英語を使ったお仕事」というものを手に入れました。
外国人講師の同僚とも流暢に英語で話し、生徒さん達には「憧れの日本人の先生」という目で見られました。
しかし内心では、生徒さんの前で恥をかかぬ様にいつもビクビクしていましたし、自分の英語の不甲斐なさとも戦っていたのです。
英会話講師のお仕事は世話好きで教えたがりの自分には合っていましたが、
私は徐々に“自分はまだまだ英語が全然話せない”と思うようになり、
「ちょっと英語が話せる日本人じゃ嫌だ」「生徒の前でビクビクしたくない」「私はネイティブになりたい」と思うようになったのです。
3.カナダの4年生大学へ入学
そして私は「ネイティブになる」ために、英会話講師のお仕事を中断してカナダの4年生大学に入学して日本を飛び出しました。
仕事を掛け持ちして週7日・3時間睡眠で400万近くを貯金し、450万の教育ローンを抱えて、私は28歳で大学生になったのです。
必死で働いて貯めたお金で受講する1科目25万円の講義は、高級フィルターを通した私の目には貴重に映りました。頭が良いんだか悪いんだか、はたまた狂っているんだかオタクなのか分からない教授達の話しも、1秒1秒、噛み締めて感動しましたし、眠そうな学生を横目に、「この高い講義が眠いなんてありえない」を微笑みながら大学生活を過ごしたのを覚えています。
私は「ネイティブになる」ために必死に勉強しました。
「遊び」の「あ」の字もないくらい、必死で勉強したのです。
しかし、ネイティブの3倍勉強しているのに、読むのも遅ければ、その分、理解も遅く、3000字の論文(Paperと呼ぶ)もネイティブ達の3倍の時間がかかるのです。
私の「ネイティブになる計画」は課題が少し残ったものの有意義に大学生活を過ごしたと思います。
4. 外資系IT企業社長秘書通訳
コロナが蔓延し始めた頃、31歳で帰国し外資系ITの社長秘書として勤務を開始。
社長は英語話者なので、仕事上の社長周りはもちろんのこと、社長の私生活に関わることも全て社長の「口」となりました。
私のようなバイリンガルが言葉を巧みに操ることで、言葉も文化も育った国も違う2人の人間にある「歪み」を整えてあげる瞬間を何度も感じる場面がありました。そのような「通訳」の立場に魅力を感じ始めたのもその頃です。
また、私で2人の会話が成り立っているのに、通訳の立場の私は重要事項を決定する必要がないのも魅力的でした。行間を読み、目の前の2人が気持ちよく話せるなら・・・と時には少し脚色して笑わせることもあったくらいです。
「ネイティブになりたい」と思っていた私は、いつの間にかネイティブにもできない、「日本語も英語も両方ネイティブ以上」を目指したくなったのです。
5. 同時通訳と広報メディアマネージャー
通訳のスキルをもっと確固たるものにするために、また、「日本語も英語も両方ネイティブ以上」になるために、外資系IT秘書通訳を辞め通訳学校に通い始めました。自分の思っていた勉強とは少し違うこともありますが、楽しんでいます。
また、現在は自身の経験とワーホリ時代から作っている「YouTube」の編集スキルを活かしてワーホリキャリア.comに貢献できるよう日々精進もしています。
以上、私の自己紹介を5つのフェーズに分けてお話ししました。
このブログが今悩んでいる誰かの耳に届いて、少しでも前に踏み出すきっかけとなったら幸いです。
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